話を元に戻さなければならない。そう、私のフアンクラブができた1986年のあの夏の日に。
さわさわと私の上を涼気を含んだ風がわたり、その動きにあわせて私もサワサワと体をゆすって、揺れに身をまかせていた。あの日の始まりは、そんなふうに訪れた。
「こんなに美しい場所はそうないよ。この自然をずっと残してこうよ」
そんな声が、突然私の耳に届いた。トキちゃん、ウリちゃんの声がとりわけ大きかった。その前、二人は伊東(俊和)さんを中心に地元の仲間と一緒に、「霧多布湿原にほれた会」を作っていた。ほれた会ができたときだって、私は十分彼らに好かれていると思うことができたものだった。それが一気に「フアンクラブ」になったのは、好きな気持ちが一層高じたのだろうか。なんとなくくすぐったいような、それでもとてもいい気持ちだったことを覚えている。
繰り返しになるけれど、3方を丘陵に囲まれ太平洋に向かって開いた3000ヘクタールが私の全貌だ。
確かに-
私はこれまで北海道東部のこの一角で、動物と植物と水鳥たちの楽園ともいえる場所を提供してきた。私自身の体は枯れた植物と土砂が交じり合ってできた泥炭層だから、丘陵から流れる水だけでなく雨水や雪解け水を溜め込む役目も受け持っている。ささやかながら私は洪水を防ぎ、一方で、丘陵と私を通過して海へと流れる栄養分豊かな水系を構成し、沿岸の漁業資源を維持することにも貢献しているのだ。
もっとも湿原は私に限らず、「自然界の腎臓」といわれている。人間の肝臓が体の組成を一定に保つように、私という存在がこの地からなくなれば、そうした恩恵も消えるということなのだ。
私は時々、人間の役に立っているのだろうかと、真剣に考えることがある。そのとき、少なくとも、これらの働きは、「YES」と胸を張れるひとつなのかもしれないと思う。
私は町の所有を除けば、大部分は細かく区画された私有地である。大勢の地主が私の管理者として名を連ねているというわけだ。だから伊東さんたちは、この私有地が都市計画なんかで一気に開発され、自然が壊されることに大きな危機意識を持ったようなのだ。
フアンクラブの事務局長は、トキちゃんと決った。この人選には、伊東さんのある願いが込められていた。


by ansund-59
改訂・地球の記憶-霧多布湿原…